めげさんの創作メモ

2005-10-29

[]碧江編の小説チップ

「碧江殿は殺しても死ななそうですから大丈夫では?」


 斯様にして、本日も愛しき人は全くの脈なしである。

 つれない相手を横に引き連れながら、碧江は内心しょぼくれていた。

 意中の娘とふたりきり、楽しむつもりで市へと足を運んだと言うのに、この雅やかならぬ光景は何だ。碧江はその涼やかな面を崩す事なく、それでいて落胆を覚えながら、隣の連れを見やった。

「いやあ、それにしても一杯買いましたねえ」

 面に汗の玉を浮かべながら、満足げに、少女が言う。背中に籠。両手に手提げと風呂敷包み。およそ山犬数匹分の重量を一身に背負って歩くは、碧江の可愛いお気に入りである李燕。その隣を、李燕の倍近く背丈のある碧江が、空手のままでのうのうと歩かされている。碧江は李燕の体力を良く知ってはいたが、はっきり言ってこれはいただけない。

 碧江が李燕を市に連れ出そうと思い立ったのは、今朝の事である。李燕は碧江の誘いに対して乗り気でなかったものの、実際に出向いてみれば、それはもう可愛らしい反応を見せた。山中の育ちである李燕は遠来の品々が珍しいらしく、足を止めては「碧江殿、あれは何でしょうかっ?」ときゃいきゃい騒ぐのである。日ごろ無体な扱いを受けている(と思いこんでいる)碧江は感動のあまり、理性の箍が外れてしまった。具体的には財布の紐が緩みっぱなしとなり、喜ぶ顔見たさに、目に付いたものを片っ端から買い上げるという暴挙に出たのである。

 そのうち土産物が李燕の手に余る量になってきたので、碧江は荷物持ちを引き受けると申し出た。男子として当然の提案である。しかし、どれだけ荷物がかさを増そうとも、李燕は頑として碧江の手を借りようとしなかったのだ。

「一応やんごとなき身分でらっしゃる碧江殿の手を、わずらわせるわけにはゆきません。そんな非礼をしたら、李鳳さまに叱られてしまいます」

 一応とはどういう意味か。それもお得意の“李鳳さま”と来たものだから意地悪く問い詰めてやりたくなったが、それは大人の度量で飲み下し、碧江は大層柔らかな物腰で抵抗を試みた。

「しかし李燕さん。貴方は私の護衛役を仰せつかってるんですよ。両手が塞がっていて、何かあったらどうします」

 それに対する返答が、殺しても死なないから大丈夫、であった。

 全く愛の感じられない台詞である。自分の意向がこれっぽっちも伝わっていない上、油虫の如く扱われている現実に、碧江はほとほと情けない気持ちになっていた。李燕は碧江を一人潰したら三十人出てくる生き物だとでも思っているのだろうか。あながち否定できないあたりに、さらなる敗北感を覚える。碧江は常々己のことを非の打ち所の無い存在だと思っていたが、ここに来て完璧すぎる自分を疎ましく思った。

 現在の李燕の立場は、碧江の護衛役となっている。だがそれは、李燕を手元に置きたいがために碧江が手回しして、適当にでっちあげた役職にしか過ぎない。彼女がたまたま街の警備方の仕事についていて、たまたま直属の上司である劉發と碧江が懇意だった。利用しない手はないので利用した。それだけの話だった。それだけの話なのだが──建前の役割りとは言え、まったく碧江の身を案じない李燕の態度は納得しかねるものがある。そのくせヘンな所で頭の固い李燕は、あくまで碧江を「自分とは世界の違う、やんごとなきお方」として接してくるのだ。これでは関係の深めようがない。

(──荷物を替わってやりたいだけなのに、何故ここまで惨めな気持ちを抱かなければいけないのか。これというのも私が強く、聡く、美しく、家柄も申し分ないせいか。だとしたら、瑕疵一つ無いこの身が憎い。完全無欠であるが故に愛しい人に身を案じてもらうというささやかな願いすら叶わず、それでいて、身分の差が貴方をいつまでも他人行儀に遠ざける。嗚呼、私はこの世で最も不幸な男に違いありません!)

 すべての元凶が自分にあることを完全に棚上げし、自分勝手な妄想を繰り広げた後、碧江はぽつりと呟いた。

「面白くない」

「え……面白くなかったですか……?」

 はたと立ち止まった李燕が、哀しげに碧江を見上げた。

 碧江の真意などまったく知らない彼女は、別の意味に受け取ったのだろう。自分だけはしゃいでいたのが恥ずかしくなったのか、ばつが悪そうに身を縮めている。

 この純朴さに、碧江は弱い。思わず碧江は顔を綻ばせて、大きな手で李燕の頭を覆った。

「そうですね、このまま大荷物を抱えたままでは身動きとるのも一苦労ですよ。それは非常に面白くありません。ゆっくり一緒に楽しみたいですからね」

 安心させるように、優しく掌で頭を撫ぜる。

 李燕はそれを甘受しながら、それもそうですねと頷いた。

「……そうだ、わたし、一旦宿に荷物を置いてきます」

 名案とばかりに、李燕はぱっと顔を上げた。

「それなら、私も一緒しますよ」

「いえ、走って行きますから、市の入り口で待っていてください」

 言うやいなや、李燕は碧江の手をすり抜けて、さっと身を離した。

「その方が早く戻って来れます。では、行ってきますね!」

 よほど時間が惜しいのだろう、碧江が何の返答をするのも待たずに、李燕は駆け出してしまった。

(慌しい子なんだから、ほんとう)

 苦笑して後ろ姿を見守りながらも、碧江は楽しんで貰えていることへの満足を覚えていた。

 そのまま、愛しいあの子の戻りを待つべく待ち合わせの場所へと足を向ける。

 息を切らしながら帰ってくるであろう李燕をどうやって迎えてやろうか。喉を潤すために水菓子でも買っておいてやれば、点数稼ぎになるかもしれない。それとも姿を見せるのはやめにして、隠れて様子を伺ってみるのも面白い。楽しげな想像に耽っていると、思わず足取りも軽くなる。

 碧江の興味はこのあとに待つ蜜月の時間に注がれており、後ろをぴったりとついてくる複数の足音があっても、何時の間にやら怪しい風体の男達に周囲を囲まれていても、全く意に介さなかった。

 背中に刃物をつきつけられ「ちょっと顔を貸してもらおうか」とすごまれた時でさえ、「返却は何時になりますかね」と尋ねたくらいであった。無論、碧江は大真面目である。李燕との逢瀬に間に合うかの一点が、彼にとって深刻な問題だったからだ。

「そりゃ、アンタの心がけ次第だよ」

 あっという間に碧江は路地裏に連れ込まれた。通行人に不審を感じた者はいなかったようで、見事な手際だった。

 値踏みするように碧江を眺め回す男達は、五名。一様に体格が良く、それぞれ着込んだ外套の下に物騒な獲物がちらつくのを、碧江の目は見逃さなかった。

 対する碧江も上背では負けてはいないが、女みたいな長髪の、柔和な笑み以外似合いそうに無い優男である。武器を隠した男達とは違い、身に付けているのは上等な長衣と、一本の鮮やかな朱の傘だけだ。男達には、さぞ頼りなく映っていることだろう。

 誰の目にも剣呑な状況であるにも関わらず、当の碧江だけが泰然自若とした立ち姿を崩さずに、男達の出方を伺っている。

 その態度に、刃を差し向けていた男が、満足げに頷いた。

「こいつは、よっぽどの馬鹿か、世間知らずだな」

「その両方じゃないのか? 睨んだとおり、何処かの坊ちゃんに違いねぇ。なあアンタ、そうなんだろ?」

 取り囲む男の一人が、下卑た笑みを近づけて問う。

 碧江は己の置かれた状況をすぐさま理解した。

(ははあ、物盗りのたぐいですか──)

 碧江を一人置いていってしまった李燕の姿が脳裏をよぎる。碧江は思わず苦笑を漏らした。

(だから言ったのにねえ。何かあったらどうするんだって)

 揺さぶりを無視して笑みを浮かべだした碧江を前に、悪漢は少々うろたえて、改めて凄んだ。

「兄さんの懐が潤ってるのは、よーく分かってるんだぜ。さっきまで随分と羽振りが良かったみたいじゃないか。俺たちもおこぼれにあやかりたいんだけどな、ん?」

 要するに、有り金を差し出せと男達は言っている。

 碧江の財布にはまだまだ余裕があったが、それは全て李燕との時間に費やすべきものである。無論下郎に渡すつもりはさらさら無く、そもそもこういった、何の努力もせず他人の懐を当てにするような人種は、碧江の最も嫌いとするものだった。

 喧嘩を売る相手を間違えた事を教えてやるべく、碧江の手が背に帯びた傘の柄に伸ばされる。

 が、その手は途中で動きを止め、次の瞬間には後ろ頭を掻きながら碧江が大げさに頭を垂れた。

「いやあ、申し訳ありません。さっき殆ど使ってしまって、持ち合わせが無いんです」

「おいおい、ンなつまらん言い訳が通ると思ってんのか?」

 碧江の服の襟を、無骨な手が掴み上げた。

「ああっ、暴力はやめてください。私はいくらも持っていませんが、途中で帰った従者に残りを預けてあるんです」

 襟元を抑えられたまま、笑ってしまいそうになるのを堪えて、碧江は精一杯情けない声を上げた。

 効果は覿面のようで、男が襟を掴む手に力が篭る。

「ン、だと……?」

「ほんとう、今はこれっぽっちしかないんですよ。これでは、許してくれるわけないでしょう」

 たどたどしく碧江の手が懐から財布を取り出し、闇雲に差し出す。

 悪漢の一人がそれをひったくって、さらに数名が中身をのぞき見た。